【CATHEDRA】

サークルメンバーの書き下ろし短編集です。

『CATHEDRA』

2023/02/19【COMITIA143】A5/フルカラー/本文40頁

  • 《漫画》「影は香る」:橋屋 燕
  • 《イラスト》「宵越しの妖精」:ほふみ おと
  • 《小説》「薄暮の夢」:北山 悠飛

(発行した本のページ柱に記載されている小説タイトルが誤っており、目次、扉、及び上記「薄暮の夢」が正しいものです。)

📝COMITIA143 (2023.02.19) :サークル初参加レポート

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▼SAMPLE▼

北山悠飛「薄暮の夢」 冒頭4頁

戦争で故郷が燃えた。敵軍の襲撃を受けたらしい。知らせを聞いただけで見てはいない。戦慄で全身が総毛立ち、ほとんど突発的な衝動に駆られて私は軍事基地を抜け出した。半年以上前に若い戦力として強制的に徴兵され、最前線で戦い続けてから、丁度精神が我慢の限界を迎えてきた頃だった。

故郷の町には親や妹たちを残している。戦地へ赴く以上二度と会うことはできないだろうと腹をくくってきたものの、自分より先に家族が危険に冒されるとは思わず、一刻も早く彼らの安否を確認しなければ気が済まなかった。そして、家族の危機を目の当たりにしたと同時に、命令に屈し流れに身を委ね、戦う他に道はないのだと全て諦めてきたはずの自己が突如目覚めた。というのも、身勝手な国の戦争に付き合わされて命を脅かされていたことに腹が立ち、一度受け入れたはずの死が恐ろしくなったのである。私は、潜伏地を攻撃されて騒然としていたところを利用して基地から密かに逃走した。故郷の町は、幸いここからそう遠くはないと知っていた。もちろん手段は歩きしかなく、野宿を繰り返し歩き続けねばならなかったが、このまま戦いに加わり続けるよりは遥かに易しい仕業に思えた。

私は最小限の荷物を持ちひとけのない道を走っていた。まだ昼間だが空は曇っていて暗かった。追手が来ないか心配で幾度も背後を振り返り、急いで基地から遠ざかるために無我夢中で走った。走る先には延々と平野が、そして森が広がっていて、人家などはなく、足元には馬車の通れる道が辛うじて舗装されているだけであった。息があがり全身が熱くなってくると私は走りを緩めた。途中で馬車の道を外れ、身を隠しやすい森の中の方に沿って進んだ。

水を川で汲んで補給し、基地から持ってきた僅かな食料と、野生の木の実で空腹をしのぎ、静かな森の中の草むらで眠って何日か野宿をした。始めはよかったが、だんだんと身体の節々が痛み始め、全身の疲労と、家族の身を案じる気持ちばかりが募っていった。雨の日は特に辛かった。森の中での雨宿りを余儀なくされた。それもやはり気休めで、枝葉を伝う水がしきりに身体を叩きつけ、冷えに苦しんだ。雨足が弱まると再びひねもす歩き通す。

そんなある日の暮れのことだった。私は森で拾った手ごろな木の枝を杖にして渓谷を歩いていた。清く浅い川は夕焼けの橙色を受けて光り、両側に茂る森は長い影を私の方まで伸ばしていた。川のせせらぎと鳥の声とに癒されるほどの心の余裕はなかった。

ふいに、何かの奇妙な香りが私の鼻をついた。何の匂いなのか俄かには判別できない。どうやら左手の方から、風に乗ってゆらゆら漂ってきているらしかった。私は怪訝に思って立ち止まり、左側にある山の木立を見上げた。すると、香りがなかったら気が付かなかったかもしれない小屋の屋根のようなものが木々の向こうにかすかに見えた。斜面に目をやると、小屋の方に上がっていく階段が木立の間に続いていて、柵で整えられており、人の手が入っているのは一目瞭然だった。

私はしめたと思った。もし集落でもあるのなら、誰かに頼めば一晩、泊めてくれるかもしれないと思いついた。雨風がしのげるなら馬小屋でもなんでもいい。丁度日が暮れるし、今日はそうしよう。私は一人で頷いて階段に足をかけた。長い階段だったが、自分の木の杖が功を奏した。しかしこんなに辺鄙な土地に家があるとは知らなかった。自分のように戦争から逃れてきた人々が隠れ住んでいるのだろうかと思った。

香りはやはりそちらから流れてくるのがわかった。嫌な匂いではない、優しく美しい香りだ。そして山の上の方まで進んだところで私を大いに驚かせたのは、唐突に森が途切れて現れた開けた場所に、千紫万紅の色彩をたたえた、あふれんばかりの花が咲いていたことだった――私は呆然と口を開いた。小さく可憐で、ベールのように薄い花弁が柔らかく風にしなっているのが手に取る様にわかった。足を進めると香りはいよいよ芳しくなった。漂ってきた強い香りは、これらの花のものだったのだ。

花畑はずっと向こうまで続いていて、どこに目線を移しても見渡す限りの花が視覚に訴える。加えて視界よりも匂いよりも、もっとそれとは別の何かが、私を飲み込んで圧倒している気がした。遠くを見渡すと、花の中を縫うように小道と、山の下からも見えた建物、煉瓦造りの家々が建っている。これは、村だ。小山の上に、花だらけの村があった。私は一時疲れを忘れて、感嘆の溜め息を漏らした。

ふと視線を遠くから手前へ戻した時、私の両目は、一人の人間の姿を捉えた。先ほどは気が付かなかったのだが、ここから一番近い花畑の真ん中で、一人の少女が花を摘んでいたのだ。少女は十五、六に見えた。真紅のワンピースの上に象牙色の外套を羽織っていた。フードの中から癖のある赤毛がこぼれている。彼女は前のめりにかがみ、花畑の中を慎重に進んでは、片手に持った平たい籠に手折った花を次々と入れていた。よほど夢中らしくこちらには全く気が付かない。私はというと暫時息をのんでその光景を見守っていた。可憐なこの少女はまさしく花たちの一部に成り得ていたからだ。一切の穢れのない美しさの象徴を、今この目で見ている気分になったからだ。
しかしこのご時世、戦争で資源も食料も足りておらずどの町の人々も衰弱しているというのに、笑顔で花摘みに興じるとは暢気なものだ。私は違和感を覚えながら少女に近寄った。

もしもしお嬢さん、と声をかける。少女ははい、と返事をして私の方を向いた。私の姿を確認すると、彼女は動きを止めて不思議そうに瞬きをした。

「すまないがこの村に、旅人を泊めてくれる家はないだろうか。あれば教えていただきたいのだが」

驚かせないようにゆっくり、柔らかな笑みを浮かべて言ったつもりだった。しかし少女は酷く驚いたらしかった。きれいな常磐色の瞳を見開いた。驚くどころか、徐々に徐々にその顔には警戒の色が滲み出ていく。何故そこまで怖がるのかと思った時、私は自身を省みて気が付いた。私は兵士の格好のままだった。

「――失礼、私は決して怪しいものではない。戦地から逃げてきたただの亡命者だ。こんななりだが、武器も何も持ってはいないし、他に仲間もいないのだ。どうか怖がらずに、村に入れてくれはしないか」

そう付け加えると、少女はやっと肩の力を抜いて緊張を解いた。足元に気を付けて花畑を出、私の前へ向き直ってくれる。

「取り乱してごめんなさい、旅の方。私はただ、客人を見るのが久方ぶりなもので、驚いてしまっただけなのです。遠路はるばる逃げていらしたのなら、さぞお疲れでしょう。どうぞ、村へお入りになってください」

少女はそう言って頭を下げた。笑顔は取り繕ったように僅かに引きつっている気がしたが、それでも十分礼儀正しい、利口そうな子ではないかと私は胸を撫で下ろした。

再度、旅人を泊めてくれる家を尋ねてみると、どうやら彼女の家に泊めてくれるらしい。案内されるまま、私は彼女の後をついていくことにした。

「あの……申し訳ないのですが、先に申しておくと、恐らく家の中には泊められないと思います。この村のどの家もそうでしょう。しかし私の家の庭には小屋がありますから、そこでも構いませんか?」

少女は歩きながら、躊躇いがちに私を振り返ってそう言った。私は無論、始めからそのつもりで来たのだから、即座に頷いて承諾した。しかし厚かましくも心のどこかで、家に入れてくれる親切な人がいるのではないかと期待していた私は、表情に出ないように残念がった。怪しいよそ者を、易々と家に入れるわけがないのである。

自分の横風さが恥ずかしくなった私は宿賃を払おうと願い出たが、少女は必要ないと断った。この村に金銭なるものは存在しないと言うのだ。いまどき金の流通していない村があることなど信じられなかったが、ともかく私はお言葉に甘えることにした。

案内されて歩く間、少女はセチアという名前を教えてくれた。それから私はせわしなく村を観察した。煉瓦造りの住居に混じって牛舎と鶏舎、それから農作物の植えられた畑がいくつかあったが、それの数倍の敷地を花壇が占めていた。花は暖色系、寒色系といった具合に大体の色味で分けて植えられていて、所々柵で区切られていた。花畑とは別に、どの家にも個別の美しいガーデンがある。時折すれ違う村人は皆生き生きとして、少しもやつれてはいないようだ。本来徴兵されているはずの数多の若い男が女性に混じって作業をしていて、私は首を傾げた。とても同じ国の人間とは思えなかった。作業している人の何人かは、セチアのように花を摘んでいる。一体如何にして生計を立てているのか疑問だったが、出会って数分で村の事情を詮索できるほど私は野暮ではなかった。

私に気づいた村人は誰もが一様に驚いて、珍しいことがあったものだと口々に言ってきた。どうやって辿り着いたんだいと笑いながら聞いてきた者もある。私は花の香りが漂ってきたのだと答えた。私は後々も、この質問が胸にわだかまった。

セチアの後を追う間、私は彼女に、今この国が戦争をしていることを知っているかと尋ねてみた。セチアはもちろん知っていると答えた。戦争は残酷だ、あなたのような兵士が気の毒だとも言った。まるで他人事のような言い方に、私は思わず語気を強めて、この村もいつ敵に襲撃されるかわからないのだと教えた。彼女は何も言わなかった。

そうこうするうちに、丘の麓、白レンガを基調とした少女の家に着いた。ここに、少女とその御両親で住んでいるという。家には、やはり花の咲き乱れた広い庭があった。そこには確かに人ひとり立って入れるくらいの大きさの小屋がある。物置にしては立派だったので、何かしら特別な用途があるのだろう。セチアは私を庭の白いベンチに座らせ、親に了解を得てくるからここで待っているようにと言った。私は頷いて大人しく座って庭を観賞した。

……