サークルメンバーの書き下ろし短編集「CATHEDRA」3作目です。
「紅茶」がテーマの短編漫画・えほん・小説を収録しています。
⭐下にサンプル掲載⭐
間に合わなかったら通販にて頒布になります。ごめんなさい
間に合ったので会場頒布します!!ありがとうございます
間に合った場合も通販があります。
仕様・内容
2025/02/16【COMITIA151】にて発行
A5/カラー口絵4P+本文モノクロ80P/表紙マットPP
会場頒布価格:¥1,000
- 橋屋 燕
- 《口絵》「お茶会は夢の中」(2P)
- 《漫画》「昼は三つ足の円卓にて」(12P)
- ほふみ おと
- 《漫画》「Everyday」(5P)
- 《えほん》「Present.」(18P)
- 北山 悠飛
- 《小説》「望郷の君」(約23,600字)

表紙の金色の部分は、表紙用紙の色で少しキラキラしますよ
サンプル

「昼は三つ足の円卓にて」



「Everyday」

「Present.」



「望郷の君」
此頃、よく店に訪れる少年がいる。
お茶菓子が恋しくなる昼下がり、客足の落ち着いた時間帯に、彼は一人で現れる。街角にある小さな喫茶店。窓際の席に座って、必ず当店自慢のブレンド・ティーを頼み、儀式のように厳かに、それだけを飲んで帰っていく。
「喫茶アケル」のマスターの娘、マーサ・クララックは明るい太陽のような、杏子色の髪と瞳をした看板娘だった。十二になってから父の手伝いを始め、接客や料理を学び始めて五年ほどになる。気丈な性格で大人びており、どんな客に対しても超然とすました対応をする彼女だが、少年がやって来ると決まって手を止めて、らしくなく、絵画でも鑑賞するようにぼんやり眺めてしまうのだった。
或る日も、ドアベルの音を控えめに立てて彼は訪れた。
一挙手一投足が静かなそよ風のように、彼はふらりと入ってくる。それに目を留めるとマーサは小さく咳払いをして、窓際の席に座った彼に近づいて水の入ったグラスを置いた。
「いらっしゃいませ。御注文は」
「ブレンド・ティーで」
彼は淡々とした調子で言って、ふいと目を伏せる。睫毛が長い、と思う。
すっきりと通った鼻筋、銀色の柔らかそうな短髪は癖で僅かに波打っている。ツイード生地の半ズボンに生成りのシャツ。年の頃は十五、六だろうか、西日に照らされた白い横顔は儚げで、彫刻のように美麗だった。
マーサは棚から茶葉を出して紅茶を淹れ始めた。――年季の入った木材を基調とした店内は、カウンター席とテーブル席に分かれている。マーサは大抵カウンターに控えて食器を片付けているか、こうして飲み物を淹れるのである。紅茶やコーヒーを淹れる練習は何年も前から父に教わってやっているおかげで、店に出せる程度には腕がある。
湯を沸かす間、マーサは父が料理をしている厨房に顔を覗かせた。
「父さん、またいらしたわ、あの方」
「ん? ……ああ、ブレンド・ティーの?」
「ええ」
「いやあ、有難いね、何度もうちに来てくれるっていうのは」
「でも、たまには他のものを注文してくれてもいいのに」
「いいじゃないか、それだけ美味しいってことだ。さすがうちの目玉の紅茶だな」
自慢げにそう言って片目を瞑る。口髭と丸眼鏡の似合う彼、ジョゼフ・クララックはかつて隣国の王宮で料理人をしていた。経験豊富で、特に紅茶やコーヒーに造詣が深い。
「さあ、パスタができた。紅茶を持って行くついでにこれも運んでくれ」
ええ、と頷いてマーサは料理を受け取った。そして淹れ終わった紅茶と一緒に盆に乗せ、店へ戻ろうとした時に、あ、と立ち止まった。
思い出したのは、今朝、練習で焼いたパウンドケーキがまだ残っていること。
「ねえ、父さん」
「なんだ」
「今朝焼いたケーキ、あの人に少し分けてもいいかしら。たくさん余っていて、困るし……」
「おお、いいんじゃないか? 綺麗に焼けていたもんな」
ジョゼフが鷹揚に微笑んだので、マーサは顔を明るくして戻り、紙に包んでしまっていたケーキを取り出して切った。練習で作った試作品のお菓子は、無料で客に提供することがしばしばある。
先程の盆にそれを加えて、今度こそ厨房を出る。
女性客のいるテーブル――客は大抵近所の常連である――に熱々のパスタを提供してから、窓際の少年の座る席へ向かった。
「お待たせしました、ブレンド・ティーです」
ソーサーとカップをそっと置くと、透き通った赤褐色の液体からフルーティーな香りが立ち上る。少年はそれを見て、表情を変えずに会釈した。そう、彼は平生、表情に乏しいのである。人形みたいだ。
いつもならそのまま立ち去るところを、マーサは追加でパウンドケーキの小皿を置いた。
「これ、サービスです。試作品なんですけど。よかったら召し上がってください」
「え……」
「まあ、あの、御贔屓にしてくださるので。いつも紅茶だけですもの、お茶請けが欲しくなるでしょう?」
つんと取り澄ましてそう言ってみると、少年は瑠璃色の瞳でマーサとケーキを見比べ、やはり無表情は崩さないまま、おずおずと首を竦めた。
「ありがとうございます」
「……ごゆっくりどうぞ」
盆を胸に抱き、急ぎ目にお辞儀をして立ち去る。
さて、彼はいつも、一口目を飲むまでに大層な時間をかける。目を閉じてカップを口元に寄せ、紅茶の香りを丹念に、それはじっくりと嗅ぐのである。それから、必ず砂糖を多めに入れ、時折物思いに耽るように外を眺めながら紅茶をかき混ぜ、一口、二口と慎重に飲む。今日はその合間に、パウンドケーキを食べる動作があった。口に合うだろうか。神妙な面持ちでケーキを切り口に運ぶところを、時折手を止めて見守った。
「それにしても、マーサの方からサービスしようなんて言い出すのは、珍しいんじゃないか?」
「そうだったかしら」
厨房へ戻るとジョゼフは嬉しそうに、同時に不思議そうにこちらを見下ろした。マーサは目を逸らして静かに首を振った。
「……別に、深い理由はないわ」
「そうかい?」
「ええ」
ぽつぽつと新たな客が来店し、その相手をしているうちに少年が伝票を手に席を立った。マーサはカウンターで勘定に応じた。
「ケーキ、御馳走様でした。美味しかったです」
少年がコインを出しながら淡々と言った。
マーサは驚いて顔を上げ、つい動きを止める。相変わらず精彩を欠いた顔つきだが、わざわざ感想を言ってくれるなんて意外だ。
「それは、よかったです。またいらして下さい。他のメニューも是非」
「……あのブレンド・ティーは、特別です」
ぽろりと、不意に彼は呟いた。
「え?」
「ひどく懐かしい香りがする。ずっと昔、あのお茶を飲んだことがある気がするんです。僕や、僕の周りの人が……」
「は、はあ」
懐かしい?
きょとんと呆けていると、少年は首を振って苦笑した。
「変なことを言ってすみません。また来ます」
「あ、ちょっと……」
止める間もなく、急に踵を返してしまう。カランカラン、とドアベルの音が空虚に鳴った。
どうしたのだろう。こうやって口をきくなんて珍しいこともあるものだ。
少年のいたテーブルを片付けながら首をひねった。
「すみませーん」
「はい、ただいま」
アケルの紅茶は父の作ったオリジナルのブレンドだ。
昔飲んだことがあると思うなら、他の似た風味の紅茶と間違えているのだろうか。
気にかかることはあるが、別の客の相手をしているうちに思考は切り替わり、彼の言葉は脳裏から次第に消え失せていってしまった。
城壁に囲まれた、活気ある豊かな街で一見平凡に店を営んでいるクララック家だが、彼等は元々移民であり、祖国を失くしていた。
マーサがまだ八つの時分、故郷のルグレア国は隣山に湧いた魔物の大群に襲われたのである。
魔物は人の住めない山の上や峡谷に湧く、凶暴な生き物だ。殺戮を好み、一定数の頭数が増えると集団となって街を襲うことがある。
ルグレアは人口が少なく、自然豊かで小さな王国だった。王城を擁した一つの巨大な街が、そのまま国だったのである。
太古は、広大な土地を凌駕した、由緒正しき有数の大国だった。それが、やがて内部の分裂で弱体化し、同時に恨みを買った外部の他族による侵略で、戦争の果てに領土を次々と失い、王都を残してその栄華は幕を下ろした。そうして、小国となったルグレアを囲むようにしてできたのが、隣国のラエリアだ。
小国と成り下がっても、ルグレアは数百年、賢明な王たちによって弱小ながら安定した治世を築かれた。しかし、しまいには魔物によって追い打ちをかけられる哀れな最期となったのだった。
突然の襲撃に、数多の人々が成す術もなく殺され、決断の速い者は着の身着のまま国外へ逃げ去った。王は軍に命じて応戦させるが撃退叶わず、一週間足らずで国は滅びた。隣国のラエリアとはかねてより関係が悪く、応援の軍も来なかった。巷の噂では、ルグレア跡地は今でも無人の廃墟で、魔物の一部が巣食っているということだ。
父が宮仕えをしていたので、マーサは王城の近くに住んでいた。魔物の襲撃があった夜、城から飛んで帰って来た父に連れられて、馬で国外へ逃げた。やむを得ず逃げた先は隣のラエリア国で、そこは一つ一つの街を城壁が囲んでいるので、入ってしまえば安全だった。
当時、マーサは魔物が押し寄せたという通達しか知らず、実際にその姿を一度も目にしていない。状況を飲み込めたのは既に国外へ出た後であり、マーサは魔物への恐怖と憎悪よりも、突然住み慣れた土地を失ったという事実に苦しんだ。
マーサたち以外にも多くのルグレア人が隣国へ逃げ込んだが、二国の仲が歴史上芳しくなかった影響で、この国において、移入してきたルグレア人に対する風当たりは強い。特にマーサはラエリアでは見られない髪色で、一目でルグレア人だとわかるので、心無い暴言を浴びせられることも少なくなかった。
今ではジョゼフの腕が確かであることが幸いして、空き家で始めた喫茶店が軌道に乗り、生活が成り立っているが、始めた当初の嫌がらせは酷いものであった。店で働いていればラエリア人の迷惑客に悪口や冷やかしを言われ、外へ出れば道行くラエリア人に石を投げられ、心を痛めて祖国を偲び、家から出られないほど病んだ時期もあった。
十年も経つとお互いにある程度妥協し、諍いも落ち着きを見せたが、ルグレア人側の居心地は未だ、決していいものではない。
「マーサ、お使いを頼まれてくれないか?」
明くる日の朝、マーサは身支度を整えてエプロンを着けようとしたところで、ジョゼフに呼び止められた。
「お使い? どこに」
「ドニの所に、こいつを渡してきてほしいんだ」
言って彼は、茶色の封筒を掲げた。ドニというのはジョゼフの友人で、同じく故国の王宮で警備をしていた兵士だ。
「わかったわ。でも家に行くの、いつぶりかしら」
「場所を忘れたかい? 坂を上って、修道院に面した」
「……行けば思い出すかもね。行ってくる」
「ありがとう。気をつけてな」
マーサは封筒を受け取って鞄に入れると、長い髪を一つに縛り、キャスケットを深く被って店を出た。
外は快晴だった。喫茶店を出て右に続く坂道を上っていくと、街の大通りからは離れていく方角になるので、行き交う人々がまばらになり、少しずつ閑静になっていく。
父の同僚であり友でもあるドニは襲撃の際、マーサたちに馬を貸してくれた張本人で、逃がす手配をしてくれた恩人でもあるらしい。ドニ自身は王や仲間とともに残って城を守ったが、やがて陥落する前に見切りをつけ、一人逃げ出したおかげで今も命があり、マーサたちと同じくこのラエリア国で暮らしている。
坂道を上って十五分ほど道なりに進み、住宅街を抜けると緑が多くなる。すると小さな修道院が見えてくる。その修道院から、道と街路樹を挟んだ辺りにあるのが、ドニの家だ。
ああ、確かあそこに見える、黄色い壁の建物だったはず。
そう思いながら角を曲がった時、突然後頭部に鈍い衝撃が走った。
「痛っ」
嫌な予感に顔をしかめて振り返った。背後で距離を取ってこちらを睨み据えていたのは、井戸端会議をしていたであろう、およそ四十代の女二人だった。
マーサは足元に転がった小石を冷ややかに見下ろして、大体のことを察してしまった。
「……なんですか」
「ふん、ルグレア人風情が、偉そうに歩くからよ」
「誰かさんたちが住み着いたせいで、治安が悪くなって嫌になるわ」
「どうして国は、こんな輩を受け入れて野放しにするのかしらね」
こちらにわざと聞こえるように大きな声で、そう話す二人を見て、久し振りだなと、マーサは肩を落とした。何度味わっても、胸の内に渦巻く嫌悪感が不快だ。
無視して立ち去ればよかったのに、今日はいやに腹が立って、彼女らと向き合ってしまった。
「あの、別に私だって好きでここに住んでいるんじゃないのですが。一方的に八つ当たりするのはやめていただけませんか?」
「なんですって?」
「うちの旦那は一年前、トルスト通りの暴動で怪我をしたのよ?」
なんの話だ、と思いかけて、思い出す。新聞によれば確か、どこかしかの工場でラエリア人経営者による法外な搾取に反抗した、ルグレア人労働者が起こしたストライキだ。
これ見よがしに愚痴を吐いた女を、マーサは胡乱な目つきで眺めた。
「治安が悪くなるのは、あなたたちがそうやってルグレア人への迫害をやめないからじゃないの?」
その瞬間、女の顔が憤りでみるみる赤くなった。しまった、お喋りが過ぎたと思った。これでは火に油だ。
「こ――小娘如きが生意気に!」
女が汚い声で叫んだ時、騒ぎを聞きつけていたらしい隣家の人が怪訝そうにドアから顔を出し、また通りを歩いていた人々がこちらへ向かって来るのが見えた。
「なんだ、なんだ」
「どうしたのです? こんなところで」
人目が集まれば収まるか、とマーサが力を抜いたのも束の間、あろうことか女二人は近所の面々を見回して、焚きつけるように言ったのだ。
「ああ、皆さん、聞いて。――ルグレアの不届き者が、ラエリアを侮辱するのよ!」
「違う、私は――」
「なんだって?」
「こいつが?」
一瞬にして彼等の視線が棘のあるものに変わり、こちらに集中した。出てきた隣人のいかつい男が目尻を吊り上げ、じわりと近づいてくる。
さすがに恐怖を覚え、どうしたものかと、ごくりと唾を飲み込んで一歩後ずさった。
次の瞬間だった。
「皆さん、やめてください」
人々が一斉にマーサの背後に目を留めたと同時に、凛とした声が響き渡った。
マーサは驚いて振り返る。
「あ……あなた」
背後から歩いて来たのは、黒い簡素な修道服を着た少年だった。その顔を見て、マーサは更に目を丸くする。
柔らかな銀色の髪に、秀麗な目元。見覚えのあるその姿はまさしく、アケルの常連客の少年だった。
「そんなふうに寄ってたかって、罪のない異国民を迫害するものではありません。一人の大人として恥ずかしくはないのですか?」
――修道院の人だったのか。
マーサは横に立った彼の姿を恍惚と見上げながら、そんなことを考えた。元から纏う気品と、堅い言葉遣いとが相まって、人を寄せつけない清廉さが増している。
一喝をくらわされた大人たちは、一様にぐっと押し黙った。あんまり少年が無表情で堂々としているので、これ以上怒声が上がることはなく、一人、また一人と建物の中へ引き返してゆき、女二人も、苛立たしげに顔を歪ませて家の中へ隠れてしまった。
そうして、静かになった路地で二人は立ち尽くした。
…
以上
よければ本にてご覧ください!